高校物理・数学成績アップ術

微風出版「導出物理」の著者による物理・数学の学習戦略ブログ

仮に外貨がなかったら日本円の価値をどう定義するか?

日本以外の国が崩壊し,外国人もすべて死んだ場合,円の価値はどのように定義されるのか?

外貨があるなら確かに、

1ドル=100円

1ドル=110円

1ドル=120円

などのように円を評価することができる。しかし世の中に外貨がない場合、貨幣の価値はどう定義すればいいのか?

 

結論:そもそも貨幣に価値などない

貨幣は食べれないので、栄養にはならない。何かを運ぶ機能もなければ、寒さをしのぐ機能もない。

貨幣とは、貸借関係で生まれる情報であり、人々の認識で存在しているもの。人々の認識に価値があるというのは意味不明である。硬貨や紙幣は認識ではないと思うかもしれないが、それは大きな勘違いである。現金は単に情報を移動できる形に置き換えたもの。

・現代の貨幣は銀行や信用金庫で借りて誕生する。

・他には、中央銀行が自国通貨の国債を買っても誕生する。

その貸借関係を数字にして、その数字を紙や金属に書いたものが現金。

1ドル=100円が1ドル=110円になったという話は、単に需要と供給のバランスによって通貨の交換レートが変化しただけである。

価値があるのは物やサービスの方であり、貨幣自体に実態価値はない。物やサービスと交換できるから、価値があるのでは?という考えもあるかもしれないが、それは物やサービスが「十分」あるという恵まれた状況だけの話である。ある人が1億円を持っていて,その人以外の国民の99%が死んだとしたら、その貨幣とは単なる記号に過ぎない。持っていても、物やサービスがほぼ存在せず、交換できるものがほぼないからだ。

 

 一般に質が高くても豊富にあるものは価格が安くなり、作ることが困難で、多くの人が欲しいと思うものは価格が上がる。これは通貨の価値が変化して起こったのではなく、物やサービスの価値の変化によって起こる現象。このことからも通貨に対して「価値」という言葉を適用するのは破綻していると考えられる。