高校物理・数学成績アップ術

微風出版「導出物理」の著者による物理・数学の学習戦略ブログ

こんな手相の人は注意しよう(4)

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赤い線が一般的な知能線ですが、まれに青のように手首のほうに下に向かって伸びる知能線を持つ人がいます。このような人は普通の人から見ると不思議ちゃんに見えます。インドア派かアウトドアはかといえば、インドア派で、独自の世界観を持ち、空想ばかりしている人も多いはず。現実的な金銭処理や業務処理や、人と協調して仕事をしていく人が苦手なため、社会不適合者に最もなりやすいタイプ。アニメオタクやメイド喫茶メイドさんもこういう手相持っていることが多そうです。ただし知能線に枝分かれが生じている人は現実的処理は苦手と言えない場合もあります。

 こういうタイプの人も一般的な仕事は向きません。美大や音大に進学して芸術にかかわる仕事を目指すか、芸能、俳優、舞台芸術、舞台美術、服飾、美容、メイクなどの世界にかかわるか、イラストレーター、デザイン系ソフトのオペレーターを目指すなど、芸術や芸能の世界でないと能力は発揮できないでしょう。

 これらの仕事が難しい場合は、例えば介護など急がずゆっくりとできるような仕事や、複雑でない事務処理の仕事につき、仕事は仕事と割り切って、趣味を満喫していく生き方のほうがいいでしょう。

 

こんな手相の人は注意しよう(3)

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 知能線と生命線が離れている人も注意です。こういう人は小さいころから変わった子だと思われることが多いです。本人は全く変人だとは思っていないのに、周りからも変人扱いされることも少なくないはず。自己主張をすることを美徳としない日本では生きにくいと言えるでしょう。こういう人は欧米のほうが合うと思います。

 何故変人扱いされるかというと、普通の人が持つような観念があまりないからです。普通の人が無理だろうと思うことでも、平気でやってのけてしまうところがあります。そういう意味で言うと才能あふれる人と言えます。

 こういう人が活躍するためには、環境が大事です。海外に出るか、特殊な環境で働いたほうがいいです。まじめなお堅い企業では才能は生かされません。就職するのであれば、経営者が寛大で頭の柔らかいところに就職すべきです。そうでなければこのような人をを扱うことができないからです。

 芸能やイベント関係などのプロデゥーサーのようなアイデアを生かせる仕事が合うと思います。理系だったら、割と特殊なものを開発するような企業に入ったほうがいいです。手相自体も少数派であるので、はたらき方も少数派の特殊なほうが合います。

 

こんな手相の人は注意しよう(2)

ツイッターでもつぶやきましたが、他の人と比べ、細かい線がたくさんある人も非常に注意が必要です。こういう人は、天から良いものをキャッチできると同時に、人の悪い念や思いもダイレクトにキャッチしてしまうので、特に人間関係でまいってしまうことが多いです。とにかく見た目以上に神経過敏ですから、学校でも職場でもしんどい思いをすることが多いでしょう。これは誰でもできる非常に簡単な鑑定で、なおかつ100発100中で当たると思いますので、自分や周りの人の手を見て確認してほしいと思います。

 人事担当者も活用してほしいですね。こういう人はもちろん人間関係のあまり激しくない事務職や経理、企画、研究、バイヤーなどの仕事に回したほうがいいです。

 自身がそういう手相でしたら、自然や動物を相手にする職業を選ぶのもいいでしょう。医者でしたら精神科医か小児科医が向いているでしょう。臨床心理士や教師にも向いていると思います。声なき者の心理をとらえられるという特徴を生かせる職業がおすすめです。

こんな手相の人は注意しよう(1)

 

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 金星帯を持っている人はちょっと注意が必要です。自由を好み、拘束を極端に嫌う場合がありますので、働きすぎの日本では生きにくいでしょう。激しい競争もあまり合わないと思います。もちろん、そういう厳しさを乗り越えられたら大きな成長と悟りを得ることができるとは思いますが、無理は禁物です。

 金星帯を持つ人はお金や贅沢には興味がなく、芸術や学問などから得られる精神的喜びのほうを優先する傾向があると思います。

 やはり手に職をつけて、小規模の会社で働くとか、自営業、自由業を目指したほうがいいでしょう。デザイナー、ジャーナリスト、建築設計技師、予備校講師、弁護士、翻訳家、通訳などような個人の実力で勝負できるような職業なら合うでしょう。僧侶、神主、牧師などの宗教家に向いている場合もあります。

 

 

巷の勉強法商材に注意しよう

現代の脳科学の研究では、ほぼ5歳くらいで脳の性能が決まってしまうというのが常識です。車で言えば排気量やエンジンの性能が決まってしまうということです。ですから、私も指導法や教材を相当研究しても、中学生であればワンランク上の高校に入れることが精一杯です。

 さて、巷に売られている勉強法商材の宣伝文句でよく「偏差値30→70」「落ちこぼれが難関校に合格」なんていうのがあります。一見すごいように思えてしまうのですが、これにはからくりがあります。

 この例は、特定の人がそうなったというだけで、例えば全体の70%の人がそうなった…などとは書いていません。脳の性能が良い人でも、勉強を全くしなければ当然偏差値は30程度ですが、そういう人が突然勉強に目覚めると成績が爆発的に上がったりします。勉強法商材はそのような特殊な例を宣伝文句に使っているだけなのです。

 もちろん勉強法商材は結構ためになることが書いてあることもあり、すべて悪いとは言いませんが、それで多くの人が爆発的な結果が出るかといえば、まったくそうとは言えません。まず、人の性格は十人十色であるのと同じように、勉強法も合う、合わないが人によって非常に激しく分かれますから、いろいろ試してみて取捨選択するという努力ができない人は、効果が得られません。そして根本的には、成績が上がるかどうかは本人の努力と脳の性能が大きく左右しますので、そのことがわかっていなければ単なるクレーマーで終わることになります。

 さて、成績が脳の性能でほぼ決まってしまうとしたら、努力しても仕方ないと思うかもしれません。しかし決してそうではありません。今の現状の範囲で自分のできることを探し、進歩向上することに意味があります。

 例えば私の中学時代の成績は、数学がちょっとできて、国語がひどかったので、相殺しても真ん中くらいの成績です。つまり頭の性能は平均的で、決して性能はよくありません。しかし、性能がよくないために、性能がよくない人の気持ちがわかるため、それが教育の世界で生かされています。

 現状は悲観するのではなく、自分のできることを見つけ、それをただ粛々とこなしていけばいいのです。たとえ希望が全く叶わない状況にあったとしても、目の前にある課題をこなすことが自分の成長につながり、それが継続できれば何らかの形で世の中に役に立つ人間になれる、そう信じて努力をしてほしいと思います。

 

何故若い人はすぐに仕事をやめてしまうのか

 最近の若い人はちょっと叱られただけですぐにやめてしまうと、ぼやく人も多いことはご存知かと思います。それは何故なのかということをここでご説明しておきます。
 実は私もどちらかというとすぐに仕事をやめてきたタイプです。そして同様の人と話す中で共通点が見えてきたのは、幼少期のトラウマや複雑な家庭環境があるということです。イジメ、いやがらせ、リンチ、カツアゲ、裏切り、親や教師の豹変や理不尽な対応、上司のパワハラなど、私は一通り経験しましたが、同様の人も何らかの割ときついトラウマを持っていました。完全に自信を無くしてしまうような経験や、完全に人間不信に陥ってしまうような経験です。
 このような経験をすると、自己防衛反応が起こるのか、人の感情に対して異常に敏感になります。ほんのわずかな行動の違い、声のトーンの違いを敏感に感じ、そこに苛立ちや怒りの感情があると激しいストレスを感じます。

 社会がより複雑に変化し、育つ環境も複雑になると、いじめや目上の理不尽な対応がより陰湿になり、他人が想像もしないようなトラウマを抱えます。ですから上司が部下を指導するときも、教師が生徒を指導するときも、感情を乱すことなく常に冷静で、丁寧でなければいけません。

 上司や教師は部下や生徒に対し、キレそうになる時ほどユーモアで返すべきである、というのは私の持論ですが、例えばイエスキリストの説法は聞き手が笑い転げるようなことが多かったそうです。何故そうかといえば、ユーモアがなければ多くの人は聞く耳を持たないからです。このように器が大きい人ほど、ユーモアを交えて教えを説き、逆に器の小さい人ほど感情を乱し、細かいことをネチネチといびるものです。

 上司や教師の対応として最もまずいのが突然豹変することです。豹変する恐怖を常に抱くことで判断力が鈍り、それがミスにつながるという悪循環に陥るからです。ですから今では烈火のごとく叱るような指導はタブーとされ、まったく効果がないということが常識となりつつあります。人を教育するとは許し続けるということであり、どこまでも冷静に対応することがよしとされます。私も塾の指導ではそのようにしていますし、まったく叱ることなく、忍耐強く丁寧に接することで、ほとんどの子は成績を上げています。

 

効率重視の勉強は本当に正しいのか

高校時代を振り返り、国立大学や難関私大に合格している人の特徴を思い出してみた。それは次のようなものである。

①観念やこだわりがあまりなく、何でも割と受け入れ、好みの激しさもなく、人間関係も割と良好。要するに性格や性質は至って普通であるということ。(東大などの超難関に受かるような人は例外)

②もともと頭がいい。覚えることも読むことも計算も速い。

 

ちなみに私自身はこのどちらにも当てはまらない人間でした。小学校時代は中の下で、とにかく文章を読むスピードが遅く、国語のテストでは全く時間内に終わらないというありさま。中学では塾のおかげで数学と英語だけはましでしたが、国語は相変わらず苦手でした。要するに頭はもともとよくはなかったということです。

 高校受験までは努力で何とかなったと思います。しかし高校に入ってからは①②が強く影響をして何とかならなくなってきました。もうワンランク下の高校に入ってもよかったと思うこともありました。とにかく劣等感と屈辱感を感じる毎日でした。

 何でこんなに頭が悪く性格がひねくれた性格に生まれてきたのか…

 しかし、今思うとその理由がだんだんわかってきました。

 教師としての資質は、①も②もあってはならないと。

 性格が素直で我があまりない人というのは、世渡り上手ではあるものの、体系的に情報を積み上げていくというこだわりがないので、世間に何かを発信していく意欲も素質も備わらないのです。

 例えば外国人に日本語を教える教師になると仮定しましょう。

 外国人が質問をします。

「この場合は、〇〇…でこの場合は〇〇...になる。何が違うんですか」

「怖い」と「恐ろしい」って何が違うのですか?

日本人なら普通は疑問に思わないようなことを外国人は尋ねてきます。しかし要領が悪く、日本語に対し常に疑問を持っていたような人は、割とそのような外国人の気持ちが理解できるので、答えられる可能性が高くなります。

 

 ですから要領が悪く、こだわりの強い受験生に言いたいわけです。要領の悪い勉強をして、多少ランクの低い大学に行ったとしても、別にいいじゃないかと。逆に有名大学出身なんていうレッテルを張られると、天狗になるのでかえって自分のためにはなりません。年を重ねればだんだんわかりますが、学閥とか派閥みたいなものは本当に幼稚でバカみたいなものだと感じるようになります。過去の栄光を引きづって生きることが尊敬に値するかどうか、考えてみれば誰でもわかることです。

 

 大学受験での合格はそれがゴールではなく、スタートなわけですから、大学の知名度にこだわるのでなく、とことん熱中できる物を見つけてほしいです。研究や仕事に熱中し、気が付いたら食事もしないで夜になっていた…なんていう生活ほど幸せなことはないのですから。

 

 要領は悪い人と言われるような人は、一般に波乱な人生を送りやすいですが、その分悟りは多く、社会に発信したり、人を教育していく能力が備わります。経営者や政治家、開発のリーダーとなっていくような人は、一切の名声を捨て、少なくともそのような生き方を選ぶものです。

 

学生が貧困スパイラルに巻き込まれないためには(4)

私の塾の生徒の話です。中学3年生の女の子で、高校をどうするかという問題で親ともめていました。親は交通費がかからない自宅から通える高校に行ってほしいという希望で、私も本人の成績や頑張りようから考えて、同意見でした。しかし本人は「田舎はつまらない」という理由だけで、遠くの都会の高校を希望していました。

 15歳にしては精神的に幼いと思いましたが、私は丁寧に次のことを説明しました。

・学びたいことも将来の目標もないのに、そんな志望動機で親が納得するはずがない。

・都会に行きたければ学校が休みの日に遊びに行ったらよい。

・今はネット社会なので都会でも田舎でも情報の格差などない。

これは意外と他人ごとではないと思います。田舎の若い人が都会にあこがれる気持ちはわかります。私もそうでした。しかし今は都会に住む魅力はあまりないと思っています。田舎に住む良さもそれなりにわかるようになり、生活にも不満はないからです。

 大学を選ぶ時も、あこがれだけで遠くの都心部の大学ばかりに目が行ってはいないでしょうか?もしそうだとするなら、それが貧困の始まりです。そうではなくもっと現実的なことを考える必要があります。親の経済力、通学時間、通学費用、学費、即戦力となる技術や技能が身につくのかなど…それらを総合的に判断しなければいけません。進学するということは自分だけの問題ではないということを忘れてはいけません。

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学生が貧困スパイラルに巻き込まれないためには(3)

 さて現在の貧困状態にある人の姿を見てどう思うかです。好きな仕事だけを自由気ままにできれば、貧困であってもよいと思う人もいるでしょう。しかしそういう人は少数派と思われます。(YouTubeなどで検索すれば貧困に陥っている人がどういう生活をしているのかがよくわかります)

 一般に貧困に陥る人は中学、高校時代において、自分の将来、進路に関して無頓着、無計画だったと言えます。親の経済力がなくて専門学校にも通えなかったとしても、貧困に陥らずに済む方法は、実はいくらでもあるのですが、その怠りによって情報が不足し、貧困に陥るのです。

 例えば私が不思議に思うことは、中学生で、将来大学に行くつもりが全くないのに普通科の高校に進学することです。なぜ工業高校とか、農業高校とか、看護や調理が学べるような専門性のある高校に行かないのか。また、都会ばかりに目を向けている学生も不思議で仕方ありません。地方には問題となっている派遣会社は少なく、正社員になれる確率は高いのですが、何故かみんな都会に住みたがります。

 安定した収入もないのに、親元から遠く離れて都会に住み、早く子供を作って慌てふためいている無計画さも不思議です。収入が少なくても子供が欲しいと考えるなら、地元に就職して、親と協力して子育てをすべきかと思いますが、そういう知恵が回らないのでしょうか。

 このように貧困は国の社会制度に責任を擦り付けがちですが、実はその根本は本人の無計画さや親の躾や学校の教育に問題があると言えます。

 

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学生が貧困スパイラルに巻き込まれないためには(2)

 まずは若者が失敗する原理について知る必要があります。人間の進化の過程において、危険を冒さないような気質(遺伝子)を持つ民族は滅び、危険を冒す気質を持つ民族だけが生き残ったと言われています。その理由はなんとなくわかるのではないでしょうか。危険を冒さず原始的な生活で満足していては、社会とか文明とか文化の発展はないのは当然です。戦争や侵略をする無謀さもあったからこそ、その悲惨さを身をもって学ぶことができたのです。

 その危険を冒す気質が強く出る時期が10代~20代の若いころだそうです。自動車の保険料も年齢が上がるごとに安くなりますが、それは統計的に見ても若い人のほうが事故を起こすリスクが高いからです。私もそうでしたが、高校生の頃は頑張れば多少困難なことでもなんとかなると思っていました。そのおかげで数々の後悔をしてきましたが、学びや悟りも多く、満足できている部分があります。逆にリスクを冒さず安全な進路をとっていたとしたら、物質的には満足できても、学ぶことが少なく、不満感が残ったと思います。

 そうすると精神の満足をとるか、物質の満足をとるか、という話になります。私の経験で言えることは、どちらも大事であり、精神が主、物質が従となる偏りが少ないバランスが重要なのだろうと思います。これは大本教のかつての教祖である出口王仁三郎という人が残した「霊主体従」という考え方と同じです。この世の富とか名声はあの世にまで持っていけるものではありません。だったらそれほど裕福ではなくても、この世で悟り多い人生を送ったほうが、あの世に帰ってから勝ち組になる、ということです。

 ところが物質があまりにも満たされないと、苦しすぎて悟りどころではなくなります。つまり貧困が過であってもよくないのです。つまりそのバランスが重要であり、多少のリスクを冒し、多少の物質を犠牲にするという生き方が賢明なのだろうと思います。

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