高校物理・数学成績アップ術

微風出版「導出物理」の著者による物理・数学の学習戦略ブログ

効率重視の勉強は本当に正しいのか

高校時代を振り返り、国立大学や難関私大に合格している人の特徴を思い出してみた。それは次のようなものである。

①観念やこだわりがあまりなく、何でも割と受け入れ、好みの激しさもなく、人間関係も割と良好。要するに性格や性質は至って普通であるということ。(東大などの超難関に受かるような人は例外)

②もともと頭がいい。覚えることも読むことも計算も速い。

 

ちなみに私自身はこのどちらにも当てはまらない人間でした。小学校時代は中の下で、とにかく文章を読むスピードが遅く、国語のテストでは全く時間内に終わらないというありさま。中学では塾のおかげで数学と英語だけはましでしたが、国語は相変わらず苦手でした。要するに頭はもともとよくはなかったということです。

 高校受験までは努力で何とかなったと思います。しかし高校に入ってからは①②が強く影響をして何とかならなくなってきました。もうワンランク下の高校に入ってもよかったと思うこともありました。とにかく劣等感と屈辱感を感じる毎日でした。

 何でこんなに頭が悪く性格がひねくれた性格に生まれてきたのか…

 しかし、今思うとその理由がだんだんわかってきました。

 教師としての資質は、①も②もあってはならないと。

 性格が素直で我があまりない人というのは、世渡り上手ではあるものの、体系的に情報を積み上げていくというこだわりがないので、世間に何かを発信していく意欲も素質も備わらないのです。

 例えば外国人に日本語を教える教師になると仮定しましょう。

 外国人が質問をします。

「この場合は、〇〇…でこの場合は〇〇...になる。何が違うんですか」

「怖い」と「恐ろしい」って何が違うのですか?

日本人なら普通は疑問に思わないようなことを外国人は尋ねてきます。しかし要領が悪く、日本語に対し常に疑問を持っていたような人は、割とそのような外国人の気持ちが理解できるので、答えられる可能性が高くなります。

 

 ですから要領が悪く、こだわりの強い受験生に言いたいわけです。要領の悪い勉強をして、多少ランクの低い大学に行ったとしても、別にいいじゃないかと。逆に有名大学出身なんていうレッテルを張られると、天狗になるのでかえって自分のためにはなりません。年を重ねればだんだんわかりますが、学閥とか派閥みたいなものは本当に幼稚でバカみたいなものだと感じるようになります。過去の栄光を引きづって生きることが尊敬に値するかどうか、考えてみれば誰でもわかることです。

 

 大学受験での合格はそれがゴールではなく、スタートなわけですから、大学の知名度にこだわるのでなく、とことん熱中できる物を見つけてほしいです。研究や仕事に熱中し、気が付いたら食事もしないで夜になっていた…なんていう生活ほど幸せなことはないのですから。

 

 要領は悪い人と言われるような人は、一般に波乱な人生を送りやすいですが、その分悟りは多く、社会に発信したり、人を教育していく能力が備わります。経営者や政治家、開発のリーダーとなっていくような人は、一切の名声を捨て、少なくともそのような生き方を選ぶものです。