高校物理・数学成績アップ術

微風出版「導出物理」の著者による物理・数学の学習戦略ブログ

残念な高校教師が実施する残念な定期テスト

教育とは国力の根幹を成している。

従って学生が勉強をする意欲をなくせば国力は当然下がる。

にもかかわらず、高校教師の中にはその意欲を無意識のうちに削いでいる方々が多いように感じる。

その一つが、定期テスト。私はよく高校教師が作った定期テスト問題を見ることがあるが、これ制限時間は何分?と尋ねると、大体60分前後。全然時間足りないよね?と尋ねると、はい足りません、と。

要するに、試験時間の設定がバカな場合が非常に多いのです。

1例を挙げるなら、ある物理の定期テスト、制限時間は60分だったのですが、私の感覚では120分くらいが妥当という感じでした。

試験時間が短いと何が問題なのか。中間層、下位層は一般に上位層と比べて読解や計算のスピードが遅いため、試験時間が短いとどうしようとするか。考えることをやめて暗記に頼ろうとします。

内容がよくわからない公式を覚え、このパターンの問題が来たらこう解く。要するに定期試験が社会に出てからあまり役に立たないクイズと化するわけです。試験科目数が多く、試験時間も短いとそうせざるを得なくなるのは当然。学生としては、意味がよくわからないことを覚えるわけだから、苦痛極まりないと想像できます。

 

そうすると、短い制限時間の試験を実施する教師は、思考力のない人材を量産していることになる。

 

そうは言ってもそれに納得しない、あるいは反論する教師の方もおられるでしょう。しかし残念ながら、読解や計算のスピードはある程度訓練で上げられても、個人差が激しく、努力ではどうにもならない、というのが脳科学の結論です。

 

そもそも国家が税金を投入し、教師を雇って教育を施している意味は何なのか、政治の役割は何なのかを考えていただきたい。弱者でも差別されることなく教育を受けられるために、公務員として教師を雇っているわけです。

受験でも経済活動でも、どんなに努力しようが必ず勝ち負けがつく。じゃあその負けた人は自己責任だと言って見捨てていいのか、というと全くそんなことはない。見捨てれば、二極化によって社会は荒れ、国家は衰退していく。

だから少なくとも公務員は、弱い立場の学生に目を向けるべきであり、上位層の鼻を折るなんてことは考える必要はない。そんなことしなくても、大学や社会に出てからいろいろな層の人と交流する中で、勝手に鼻を折られる機会を得る。

 

以上のことから、次のような高校教師ははっきり言ってアホです。

・定期試験で難問奇問を出して、学生の鼻を折ろうとする

・学生の多くが、時間が足りないと感じる定期試験を実施する

 

そもそも定期試験なんて100点がたくさんいてもよい。入試のように合格者を選ぶ必要はないのだから。学生のやる気を削がないためには、少なくとも基礎に絞り、ある程度時間に余裕を持たせ、実施すべきである。

 さらに言えば、そもそも定期試験をやる必要があるのか、ということまで検討してもいい。実際に定期試験廃止の動きは広がりつつあり、そのほうが学生のやる気が出た、学力が上がったということもある。

 ただし、もしも私が学生なら、自分の興味のある科目に関しては、定期試験を受けて実力を確認したいという思いはある。特に、数学や物理は本当に理解しているかどうかは問題を解けるまで分からないことが多く、レポートを提出すれば実力がつくという話ではないからだ。従って、個人的には定期試験を受けるかどうかは、個人が選択できるというのが良いだろうと思っている。

 

一方で模試のような実力テストは、ある程度時間を意識させたものであってもよい。実際に入学試験で競争しなければいけない現実があるわけだから。

 

それから文科省にも言っておきたい。共通テストの考え方。思考力や読解力を問うような思想に切り替えるのなら、何故試験時間を長く設定しないのか。上位層にとってはそれでもどうってことはないが、中間層から下位層は、前述の通り脳科学的な問題から試験時間を長く設定しないと、そもそも思考力を計ることができない。そんなことにも気づかないあなた方の思考力のなさ、まったく目に余ります。

 

2022年度の数学は、特に時間が足りないと嘆く声が多く、SNSでは、数学の試験終了後、泣いて出て行った女の子を見かけた、なんていう投稿があったほど。3年間頑張ってきたのに、実力が発揮できなかったことが想像され、本当に悔しい思いをしたことでしょう。もし私が下位層の学生なら、このような試験を受けたとき、社会から見捨てられている、という虚無感に陥ることでしょう。

 

学生がやる気をなくしたら国家は衰退します。あんな試験は努力したところで点数は伸びないし、そもそも時間がなくて解くことすらできない、なんてみんなが思い始めたら終わりです。

 

ちなみに学習塾で教育を施している私自身からすると、今回のような数学共通テストの対策をしようと考える場合、少なくとも下位層に関しては、基礎の基礎を完成させるだけで精いっぱいなため、対策を捨てるという選択をとることになります。

 

文科省の皆さん。学生に思考力、読解力を問うのなら、まずは自分自身が教育の現場に出向き、実際に教育を施す経験をして、自分自身の思考力を鍛えてからにしましょう。