文部科学省の皆さんは以下必ず留意ください。
国主導で行う試験をやる意味とは何か。それは民間で補えないもの、民間で補おうとするとコストが大幅にかかるものは税金を使ってやるべきでしょう。原点はここですよね。ここを忘れていろいろやろうとするからおかしいことになるのです。
例えば英語であれば、良質なリスニング問題を作ることは大変手間でコストと時間がかかりますから、これを国が全面的にやってくれれば大学にとっては大変助かるはずです。
基本的には学生達は基礎学力さえつけさせれば、あとは自分たちで勝手に自分たちの目標に向かって歩きはじめるため、国は基礎的試験に徹し、余計なことをあまりせず、基礎以外の部分に関しては各大学の試験に任せるべきです。
基礎を中心にすれば、東大を受けるような優秀な学生はみんな満点をとってしまうでしょうが、それで構いません。大学独自の試験で勝負させればよいだけです。
一方偏差値40程度の大学の場合はどうかと言えば、これは大変ありがたいはずです。場合によっては学科試験は共通テストのみで運用でき、実技や適性テストの準備に時間を割くことができるからです。現状では多くの低偏差値大学では今までのセンター試験は難易度が高すぎ、独自問題を作らざるを得ない状況があり、これは多くの人の時間と労力が無駄になっています。
国がやることは弱者救済であり、底辺の底上げです。やってはいけないことは、能力の高い人に合わせて、あるいは能力の高い人を選別するようなことです。それは各大学がやるべきことであり、国が主導してやるべきことではありません。
例えば記述問題を増やして思考力を問う問題を作ろうとする動きは、完全に能力の高い人に合わせようとする考え方です。これは基本的に誤りです。
私は個人塾で中学生に主に数学と英語を教えていますが、結局できない子の多くは小学で習う読み書き計算でつまづいており、原因をよく考えると、小学校算数の教科書では小難しい考え方を押し付け、計算の基礎を反復することがおろそかになっているという結論に達します。私に言わせると小学の算数の教科書では不要なことが多すぎます。
また、ある報道で、某低偏差値大学において、英語の授業が中学レベルであることに文科省が文句をつけているという滑稽なものがありました。文科省は全く論理が破綻、自己矛盾に気づいていません。それは生徒のレベルが低すぎてついてこれないからそうしているわけで、その原因を作っているのは主に文科省です。結局これも同様に小学から高校で習う読み書き計算の反復、詰込みに重点をおかない方針をとったことが原因です。
結局文科省は、詰め込みがいけないという批判に迎合し、余計なことをしすぎています。私に言わせれば、詰め込みがいけないという考えは教育の素人の言うことです。基礎学力がないから、その他の高度な能力が育たないのであって、国が直接的に高度な能力を育てようとするのは矛盾しています。
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