高校物理・数学成績アップ術

微風出版「導出物理」の著者による物理・数学の学習戦略ブログ

公式を導出してそもそも問題が解けるようになるのか?

導出物理がタイトルの通り導出をテーマにした理由はいくつかあります。最初にその点について述べたいと思います。

(1) 市販の教材に公式の導出を高校生でも理解できるように書いている参考書が存在しない。

 ネットを検索していると、「ちゃんと導出をしている参考書ない?」という書込みをよく見ます。やはり10代後半ともなると、意味もなく与えられたものに対しては反発したくなるわけです。これがもう少し若ければどうでしょう。例えば次のような疑問を持ちましたか?

・円周率πは何で3.1415…になるの?何でそんなこと言えるの?

・円周は2πr,円の面積はπr^2、球面積は4πr^2,球体積は(4/3)πr^3と何故分かるの?

三角錐や円錐の体積は何故1/3をかけるの?

 実はこれらのことは全部数学的に導出できます。しかし多くの人はあまり深く考えることなく公式を覚えたと思います。年齢的にそこまで深く考えることができないからですね。

 ところが高校数学、物理になると、ある程度知識・経験が増え、学問に対する探究心も生まれてきますので、「公式はこれ、とりあえず覚えろ」と言われても「は?」と思うのは至って正常なことです。これが導出をテーマとした理由の第一点。

(2)  応用力をつけ、忘れにくくするため

 別の記事にも書きましたが、脳は短期間で覚えたものほど忘れやすい性質があります。また、理由・根拠が伴っていないと同様のことになります。幼少期のころに海外で生活していて現地語が話せたけど、日本に戻ってくるときれいに忘れてしまった、ということはよく聞くと思います。これは期間が短いことと、文法の知識がないまま言語を学んでいるため、規則性がつかめず応用できないからです。

 私たち日本人が文法を知らなくても日本語が話せるのは、時間をかけてゆっくり日本語に触れてきたからです。ですから導出物理も丁寧に公式を導出して、時間をかけてゆっくり学べるようにしているのです。どこかの勉強法マニュアル本かなんかを読んで、効率的に英単語を覚え、すぐに忘れてしまった、という人をよく見かけますが、その理由も全く同じです。初めはゆっくり学び、試験に向けて徐々に短時間で解けるよう反復練習することが重要だと知ってください。

 

 というわけで「公式を導出してそもそも問題が解けるようになるのか?」という問いに対する私なりの答えは「問題を解けるようにするために導出をするのではない」です。結果さえ出ればいいという話ではないはずです。将来応用力もつかず、習ったことは全部忘れてもいいから入試だけパスしたいと思いますか? 

 普通の高校生が考えれば、答えは1つに決まると思います。背伸びをすることはある程度必要ですが、効率重視で結果だけを追求するのも問題です。大学に入ったら授業についていけない、友達についていけない、というのも悲惨です。有名大学に入って社会に出た後、君ホントに〇〇大学出身?なんていわれるのも悲惨です。

 

 入試で結果を出すことは何よりも重要ですが、その結果とは何のためでしょうか?学歴?名誉?地位?…それもある程度大事でしょうが、果たしてそんな考えの人が尊敬されて、リーダーとして慕われるようになるでしょうか。

 

 入試は人が成長するための目標にすぎず、人生の通過点にすぎません。その先も成長を続けなければ生きていけないのです。そのことをよく考えて受験勉強に励んでもらえればと思います。

 

 

人を判断する材料はその人の〇〇しかない

 

  知能指数が異常に高い人たちの集まりであるメンサは有名ですよね。この会員の中には社会になじめず孤立してしまっている人もいるそう。簡単に言えば頭が良すぎて周りからは変人扱いされてしまっているのです。自分がどのように周りから映っているのかということの想像の欠如、そして何より知能指数が低い人の気持ちが想像できないことが大きな原因だろうと思われます。知能指数が高くてもこれでは不幸ですよね。

 知能指数の診断では、人の気持ちを推し量るテストというのはないと思います。小説の読解問題のようなもの作ることを考えると、解釈は人それぞれで正解が1つに決まらないという問題が出てきてしまうため、診断テストを作ること自体が困難だからです。よって知能指数というのは能力判断のほんの一部の側面でしかないことを強調しておきたいです。

 人を判断するのはテストではなく、その人の足跡だけしかありません。どの大学を出たかではなく、どのような勉強をしてきたのか、どのような活動をしたのか、あるいは社会人であれば、どのような仕事を経験してきたのか、どのような研究をして、どれだけの成果を上げてきたのか、そういった足跡しか人を判断する材料はないのです。

 ですから就職における面接はその人の足跡を必ず尋ねてくるのです。そして足跡が薄い人が就職競争から脱落していきます。学歴も一つの足跡ではありますが、それだけで判断される時代ではもうありません。そういうわけで、私も東大生とか東大卒の優秀な人と会ってもビビることはなくなりました。しかし足跡を聞いてそれが素晴らしかったら、高卒の人でもビビります。

 

 もしも学歴だけを武器に就職を勝ち抜いていこうと考えていたり、あるいは親であれば子供を有名大学に入れれば安心だ、などと考えているのであれば、完全に時代遅れです。タイトルの〇〇の答えはもちろん「足跡」です。ハーバード大学の入学ではペーパーテスト以外にもその人の足跡を徹底的に調査されることは有名ですよね。日本の大学もいずれそうなることでしょう。

 

国立医学部受験は最も努力が報われにくい

医学部受験では何故か多浪する人が多いです。圧倒的に安定した生活が保障されるので無理はないでしょう。私自身の考えでは、せいぜい1浪してダメならきっぱりあきらめるべきだろうと思っています。その根拠について述べたいと思います。

 

●国立医学部の場合

 センター試験でほぼ満点を取らないと、その時点でアウト。2次では逆転不可能ということです。センターでは95%以上得点していないと厳しく、90%に満たしていないなら絶望的のようです。それで合格レベルに全く満たないというのですから恐ろしいですよね。(すべてがそうかはわかりませんが、たぶんそれに近いでしょう)

 医学部はそれほど難しくない大量の問題を短時間でいかに多くこなすかということが勝負で、センター・2次試験ともにケアレスミスをちょっとでもした人が脱落するという大変シビアな世界です。簡単に言えば、読むスピード、記憶するスピード、理解するスピードが異常に高く、加えてケアレスミスが異常に少なく、こだわりが少なくさっぱりした性格の人でないと受からないということです。これは努力でどうにかなる問題ではありません。

 脳の性能は3歳程度で決まってしまうことが脳科学では常識ですので、もう努力のレベルを超えているわけです。こだわりが強い人や得意科目・苦手科目がはっきりしている人がダメな理由は、難問・苦手科目ばかりにこだわってしまう傾向があるからです。受験勉強のすべては、短時間で解くこと、大量に覚えること、ケアレスミスを極力なくすことに全身全霊をかけた訓練を徹底しなければいけないのに、苦手科目にこだわっているようでは能力として程遠いですし、こだわりが強く、難問・奇問を捨てられず、時間をかけてしまっているようでは、周りに離される一方です。

 

 しかし問題なのは、そのことを10代後半の若い子に言っても納得しないことです。本人たちは希望に満ちていますし、努力すれば何とかなると思っています。何度か失敗をしてからでないと納得しないため、親や教師は傍観することしかできないのです。

 ちなみに私の高校時代、知り合いで1浪して国立大医学部に通った人がいましたが、本人の性格は、やはりこだわりがあまりなく、むしろ適当というくらいでした。また、科目においては得意不得意・好き嫌いなく、なんでも吸収していくというタイプでした。こういうタイプでないと医学部は通らないのだなぁと最近つくづく思うところです。

 さて、もう一つ問題なのが、予備校の模試はあまりあてにならないということです。国立医学部は全国各地の猛者が集まってきますので、予備校の模試程度では母集団が不足して正しい判定が出にくいです。また、試験の形式が大量型になっていないため、本人の実力と判定が乖離する可能性が大いにあります。つまり模試でA判定が出たとしても全く通らないことはよくあることです。予備校側も商売ですからそのことは絶対に言わないでしょう。

 

●私立医学部の場合

 基本的に国立と変わらないのは、難しくない問題を大量にミスなくこなさなければいけないことです。ただしセンターはないので国立ほどの難易度はないのは当然です。しかし偏差値的には中間程度に位置する私大医学部なら、早稲田・慶応に通るくらいの実力が必要かと思われます。低い私大医学部の場合は問題が結構易しかったりもして、これなら受かるんじゃないかと、と思ってしまうのですが、実際の合格レベルはかなり高い点だったりします。それに気づかず、多浪する人も少なくありません。

 

導出物理 完全版 最新情報・学校採用について

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現在販売時期・価格は未定ですが,高校・高専での採用希望があった場合に限り早めに製本いたします。完全版は高校物理基礎、高校物理の統合版になります。今後はこの統合版のみの出版に切り替えていきますのでご注意ください。構成は次のようになります。

●完全版(上)解答付(取り外し可)B5サイズ 本体p320 解答p72 厚さ18mm

 力学(物理基礎)→力学(物理)→波動(物理基礎)→波動(物理)

●完全版(下)解答付(取り外し可)B5サイズ 本体p304 解答p60 厚さ16mm

 電磁気(物理基礎)→電磁気(物理)→熱(物理基礎)→熱(物理)→原子(物理基礎)→原子(物理)

★2色刷りは変わりません。

●第2版からの差分

・数学的準備として,外積,積の微分法、合成関数の微分法、置換積分法を追加

・練習問題を全体で30問追加(主に入試問題の基本的過去問)

・校正を再外注したことにより、誤植、わかりにくい表現、不備などを改善

虚数を用いた交流の解説を加筆

・波動(物理基礎)の波の発生がイメージしやすいように加筆

・力のモーメントの外積の定義を高校生でも理解できるように加筆

・ページの端に章番号のガイドを挿入

●学校採用値引き条件

・定価税込2430円。値引き額は定価から部数に応じて変わります。

・初回製本直後の出荷に合わせたご注文

・書店を通さず、微風出版と直接お取引をする

・教材到着後2週間以内に代金を銀行振り込みする

●お問い合わせ

微風出版WEBページのお問い合わせフォームよりメールでお問い合わせください。

http://www.soyo-kaze.biz/main.cgi?mode=m_inq&sid=1

 

追記 2018.3.17

現在大幅な改定に伴い編集作業が難航しております。出版が若干遅くなるかもしれません。

 

力のモーメントは外積で定義されている

力のモーメントの正確な定義は、空間ベクトルで表されるベクトル量です。しかし高校物理では非常にあいまいな教え方をします。ベクトル量ともスカラー量ともいわずになんとなく量を定義して問題を解くことになります。

 教科書の記述も厳密ではないことも多いです。練習問題文では「力のモーメントは何N・mか」と記述されますが、ベクトル量であるので「力のモーメントの大きさは何N・mか」とするのが正確な記述だろうと思われます。

 厳密に定義できないのは高校数学で外積を習わないからです。実は力のモーメントは外積を用いて次のように定義されています。

   N=r×F

※×(クロス)は外積演算子

※rは回転軸を始点、力Fの作用点を終点とするベクトル

この教科書の不備を補うために、やはり導出物理では外積の解説を行い力のモーメントを正確に定義すべきであろうと思いました。(この点はちょうど今改定したところです)

 教材を作っていて思ったのですが、外積自体はやはり高校で教えてもいいと思いました。というのは高校で覚える物理の公式は、大学では公式を修正して覚え直さねばいけないからです。これは全くもって非効率です。

 そして大学で修正して覚える公式は非常にシンプルで覚えやすいのです。ですから高校で外積を習うことは非常に価値があります。外積を理解することで、電磁気の分野でも公式が非常にシンプルになり有効です。

 ただし外積の成分計算は非常に複雑で、高校物理では使うこともないのでやる必要はないと思います。大事なことは外積の意味、向き、大きさなどを正確に理解することです。

 

というわけで次回改定の導出物理をお楽しみに!

 

巷の勉強法商材に注意しよう

現代の脳科学の研究では、ほぼ5歳くらいで脳の性能が決まってしまうというのが常識です。車で言えば排気量やエンジンの性能が決まってしまうということです。ですから、私も指導法や教材を相当研究しても、中学生であればワンランク上の高校に入れることが精一杯です。

 さて、巷に売られている勉強法商材の宣伝文句でよく「偏差値30→70」「落ちこぼれが難関校に合格」なんていうのがあります。一見すごいように思えてしまうのですが、これにはからくりがあります。

 この例は、特定の人がそうなったというだけで、例えば全体の70%の人がそうなった…などとは書いていません。脳の性能が良い人でも、勉強を全くしなければ当然偏差値は30程度ですが、そういう人が突然勉強に目覚めると成績が爆発的に上がったりします。勉強法商材はそのような特殊な例を宣伝文句に使っているだけなのです。

 もちろん勉強法商材は結構ためになることが書いてあることもあり、すべて悪いとは言いませんが、それで多くの人が爆発的な結果が出るかといえば、まったくそうとは言えません。まず、人の性格は十人十色であるのと同じように、勉強法も合う、合わないが人によって非常に激しく分かれますから、いろいろ試してみて取捨選択するという努力ができない人は、効果が得られません。そして根本的には、成績が上がるかどうかは本人の努力と脳の性能が大きく左右しますので、そのことがわかっていなければ単なるクレーマーで終わることになります。

 さて、成績が脳の性能でほぼ決まってしまうとしたら、努力しても仕方ないと思うかもしれません。しかし決してそうではありません。今の現状の範囲で自分のできることを探し、進歩向上することに意味があります。

 例えば私の中学時代の成績は、数学がちょっとできて、国語がひどかったので、相殺しても真ん中くらいの成績です。つまり頭の性能は平均的で、決して性能はよくありません。しかし、性能がよくないために、性能がよくない人の気持ちがわかるため、それが教育の世界で生かされています。

 現状は悲観するのではなく、自分のできることを見つけ、それをただ粛々とこなしていけばいいのです。たとえ希望が全く叶わない状況にあったとしても、目の前にある課題をこなすことが自分の成長につながり、それが継続できれば何らかの形で世の中に役に立つ人間になれる、そう信じて努力をしてほしいと思います。

 

何故若い人はすぐに仕事をやめてしまうのか

 最近の若い人はちょっと叱られただけですぐにやめてしまうと、ぼやく人も多いことはご存知かと思います。それは何故なのかということをここでご説明しておきます。
 実は私もどちらかというとすぐに仕事をやめてきたタイプです。そして同様の人と話す中で共通点が見えてきたのは、幼少期のトラウマや複雑な家庭環境があるということです。イジメ、いやがらせ、リンチ、カツアゲ、裏切り、親や教師の豹変や理不尽な対応、上司のパワハラなど、私は一通り経験しましたが、同様の人も何らかの割ときついトラウマを持っていました。完全に自信を無くしてしまうような経験や、完全に人間不信に陥ってしまうような経験です。
 このような経験をすると、自己防衛反応が起こるのか、人の感情に対して異常に敏感になります。ほんのわずかな行動の違い、声のトーンの違いを敏感に感じ、そこに苛立ちや怒りの感情があると激しいストレスを感じます。

 社会がより複雑に変化し、育つ環境も複雑になると、いじめや目上の理不尽な対応がより陰湿になり、他人が想像もしないようなトラウマを抱えます。ですから上司が部下を指導するときも、教師が生徒を指導するときも、感情を乱すことなく常に冷静で、丁寧でなければいけません。

 上司や教師は部下や生徒に対し、キレそうになる時ほどユーモアで返すべきである、というのは私の持論ですが、例えばイエスキリストの説法は聞き手が笑い転げるようなことが多かったそうです。何故そうかといえば、ユーモアがなければ多くの人は聞く耳を持たないからです。このように器が大きい人ほど、ユーモアを交えて教えを説き、逆に器の小さい人ほど感情を乱し、細かいことをネチネチといびるものです。

 上司や教師の対応として最もまずいのが突然豹変することです。豹変する恐怖を常に抱くことで判断力が鈍り、それがミスにつながるという悪循環に陥るからです。ですから今では烈火のごとく叱るような指導はタブーとされ、まったく効果がないということが常識となりつつあります。人を教育するとは許し続けるということであり、どこまでも冷静に対応することがよしとされます。私も塾の指導ではそのようにしていますし、まったく叱ることなく、忍耐強く丁寧に接することで、ほとんどの子は成績を上げています。

 

効率重視の勉強は本当に正しいのか

高校時代を振り返り、国立大学や難関私大に合格している人の特徴を思い出してみた。それは次のようなものである。

①観念やこだわりがあまりなく、何でも割と受け入れ、好みの激しさもなく、人間関係も割と良好。要するに性格や性質は至って普通であるということ。(東大などの超難関に受かるような人は例外)

②もともと頭がいい。覚えることも読むことも計算も速い。

 

ちなみに私自身はこのどちらにも当てはまらない人間でした。小学校時代は中の下で、とにかく文章を読むスピードが遅く、国語のテストでは全く時間内に終わらないというありさま。中学では塾のおかげで数学と英語だけはましでしたが、国語は相変わらず苦手でした。要するに頭はもともとよくはなかったということです。

 高校受験までは努力で何とかなったと思います。しかし高校に入ってからは①②が強く影響をして何とかならなくなってきました。もうワンランク下の高校に入ってもよかったと思うこともありました。とにかく劣等感と屈辱感を感じる毎日でした。

 何でこんなに頭が悪く性格がひねくれた性格に生まれてきたのか…

 しかし、今思うとその理由がだんだんわかってきました。

 教師としての資質は、①も②もあってはならないと。

 性格が素直で我があまりない人というのは、世渡り上手ではあるものの、体系的に情報を積み上げていくというこだわりがないので、世間に何かを発信していく意欲も素質も備わらないのです。

 例えば外国人に日本語を教える教師になると仮定しましょう。

 外国人が質問をします。

「この場合は、〇〇…でこの場合は〇〇...になる。何が違うんですか」

「怖い」と「恐ろしい」って何が違うのですか?

日本人なら普通は疑問に思わないようなことを外国人は尋ねてきます。しかし要領が悪く、日本語に対し常に疑問を持っていたような人は、割とそのような外国人の気持ちが理解できるので、答えられる可能性が高くなります。

 

 ですから要領が悪く、こだわりの強い受験生に言いたいわけです。要領の悪い勉強をして、多少ランクの低い大学に行ったとしても、別にいいじゃないかと。逆に有名大学出身なんていうレッテルを張られると、天狗になるのでかえって自分のためにはなりません。年を重ねればだんだんわかりますが、学閥とか派閥みたいなものは本当に幼稚でバカみたいなものだと感じるようになります。過去の栄光を引きづって生きることが尊敬に値するかどうか、考えてみれば誰でもわかることです。

 

 大学受験での合格はそれがゴールではなく、スタートなわけですから、大学の知名度にこだわるのでなく、とことん熱中できる物を見つけてほしいです。研究や仕事に熱中し、気が付いたら食事もしないで夜になっていた…なんていう生活ほど幸せなことはないのですから。

 

 要領は悪い人と言われるような人は、一般に波乱な人生を送りやすいですが、その分悟りは多く、社会に発信したり、人を教育していく能力が備わります。経営者や政治家、開発のリーダーとなっていくような人は、一切の名声を捨て、少なくともそのような生き方を選ぶものです。

 

学生が貧困スパイラルに巻き込まれないためには(4)

私の塾の生徒の話です。中学3年生の女の子で、高校をどうするかという問題で親ともめていました。親は交通費がかからない自宅から通える高校に行ってほしいという希望で、私も本人の成績や頑張りようから考えて、同意見でした。しかし本人は「田舎はつまらない」という理由だけで、遠くの都会の高校を希望していました。

 15歳にしては精神的に幼いと思いましたが、私は丁寧に次のことを説明しました。

・学びたいことも将来の目標もないのに、そんな志望動機で親が納得するはずがない。

・都会に行きたければ学校が休みの日に遊びに行ったらよい。

・今はネット社会なので都会でも田舎でも情報の格差などない。

これは意外と他人ごとではないと思います。田舎の若い人が都会にあこがれる気持ちはわかります。私もそうでした。しかし今は都会に住む魅力はあまりないと思っています。田舎に住む良さもそれなりにわかるようになり、生活にも不満はないからです。

 大学を選ぶ時も、あこがれだけで遠くの都心部の大学ばかりに目が行ってはいないでしょうか?もしそうだとするなら、それが貧困の始まりです。そうではなくもっと現実的なことを考える必要があります。親の経済力、通学時間、通学費用、学費、即戦力となる技術や技能が身につくのかなど…それらを総合的に判断しなければいけません。進学するということは自分だけの問題ではないということを忘れてはいけません。

 

学生が貧困スパイラルに巻き込まれないためには(3)

 さて現在の貧困状態にある人の姿を見てどう思うかです。好きな仕事だけを自由気ままにできれば、貧困であってもよいと思う人もいるでしょう。しかしそういう人は少数派と思われます。(YouTubeなどで検索すれば貧困に陥っている人がどういう生活をしているのかがよくわかります)

 一般に貧困に陥る人は中学、高校時代において、自分の将来、進路に関して無頓着、無計画だったと言えます。親の経済力がなくて専門学校にも通えなかったとしても、貧困に陥らずに済む方法は、実はいくらでもあるのですが、その怠りによって情報が不足し、貧困に陥るのです。

 例えば私が不思議に思うことは、中学生で、将来大学に行くつもりが全くないのに普通科の高校に進学することです。なぜ工業高校とか、農業高校とか、看護や調理が学べるような専門性のある高校に行かないのか。また、都会ばかりに目を向けている学生も不思議で仕方ありません。地方には問題となっている派遣会社は少なく、正社員になれる確率は高いのですが、何故かみんな都会に住みたがります。

 安定した収入もないのに、親元から遠く離れて都会に住み、早く子供を作って慌てふためいている無計画さも不思議です。収入が少なくても子供が欲しいと考えるなら、地元に就職して、親と協力して子育てをすべきかと思いますが、そういう知恵が回らないのでしょうか。

 このように貧困は国の社会制度に責任を擦り付けがちですが、実はその根本は本人の無計画さや親の躾や学校の教育に問題があると言えます。