高校物理・数学成績アップ術

微風出版「導出物理」の著者による物理・数学の学習戦略ブログ

導出物理 完全版 最新情報・学校採用について

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現在販売時期・価格は未定ですが,高校・高専での採用希望があった場合に限り早めに製本いたします。完全版は高校物理基礎、高校物理の統合版になります。今後はこの統合版のみの出版に切り替えていきますのでご注意ください。構成は次のようになります。

●完全版(上)解答付(取り外し可)B5サイズ 本体p320 解答p72 厚さ18mm

 力学(物理基礎)→力学(物理)→波動(物理基礎)→波動(物理)

●完全版(下)解答付(取り外し可)B5サイズ 本体p304 解答p60 厚さ16mm

 電磁気(物理基礎)→電磁気(物理)→熱(物理基礎)→熱(物理)→原子(物理基礎)→原子(物理)

★2色刷りは変わりません。

●第2版からの差分

・数学的準備として,外積,積の微分法、合成関数の微分法、置換積分法を追加

・練習問題を全体で30問追加(主に入試問題の基本的過去問)

・校正を再外注したことにより、誤植、わかりにくい表現、不備などを改善

虚数を用いた交流の解説を加筆

・波動(物理基礎)の波の発生がイメージしやすいように加筆

・力のモーメントの外積の定義を高校生でも理解できるように加筆

・ページの端に章番号のガイドを挿入

●学校採用値引き条件

・定価税込2430円。値引き額は定価から部数に応じて変わります。

・初回製本直後の出荷に合わせたご注文

・書店を通さず、微風出版と直接お取引をする

・教材到着後2週間以内に代金を銀行振り込みする

●お問い合わせ

微風出版WEBページのお問い合わせフォームよりメールでお問い合わせください。

http://www.soyo-kaze.biz/main.cgi?mode=m_inq&sid=1

 

追記 2018.3.17

現在大幅な改定に伴い編集作業が難航しております。出版が若干遅くなるかもしれません。

 

力のモーメントは外積で定義されている

力のモーメントの正確な定義は、空間ベクトルで表されるベクトル量です。しかし高校物理では非常にあいまいな教え方をします。ベクトル量ともスカラー量ともいわずになんとなく量を定義して問題を解くことになります。

 教科書の記述も厳密ではないことも多いです。練習問題文では「力のモーメントは何N・mか」と記述されますが、ベクトル量であるので「力のモーメントの大きさは何N・mか」とするのが正確な記述だろうと思われます。

 厳密に定義できないのは高校数学で外積を習わないからです。実は力のモーメントは外積を用いて次のように定義されています。

   N=r×F

※×(クロス)は外積演算子

※rは回転軸を始点、力Fの作用点を終点とするベクトル

この教科書の不備を補うために、やはり導出物理では外積の解説を行い力のモーメントを正確に定義すべきであろうと思いました。(この点はちょうど今改定したところです)

 教材を作っていて思ったのですが、外積自体はやはり高校で教えてもいいと思いました。というのは高校で覚える物理の公式は、大学では公式を修正して覚え直さねばいけないからです。これは全くもって非効率です。

 そして大学で修正して覚える公式は非常にシンプルで覚えやすいのです。ですから高校で外積を習うことは非常に価値があります。外積を理解することで、電磁気の分野でも公式が非常にシンプルになり有効です。

 ただし外積の成分計算は非常に複雑で、高校物理では使うこともないのでやる必要はないと思います。大事なことは外積の意味、向き、大きさなどを正確に理解することです。

 

というわけで次回改定の導出物理をお楽しみに!

 

巷の勉強法商材に注意しよう

現代の脳科学の研究では、ほぼ5歳くらいで脳の性能が決まってしまうというのが常識です。車で言えば排気量やエンジンの性能が決まってしまうということです。ですから、私も指導法や教材を相当研究しても、中学生であればワンランク上の高校に入れることが精一杯です。

 さて、巷に売られている勉強法商材の宣伝文句でよく「偏差値30→70」「落ちこぼれが難関校に合格」なんていうのがあります。一見すごいように思えてしまうのですが、これにはからくりがあります。

 この例は、特定の人がそうなったというだけで、例えば全体の70%の人がそうなった…などとは書いていません。脳の性能が良い人でも、勉強を全くしなければ当然偏差値は30程度ですが、そういう人が突然勉強に目覚めると成績が爆発的に上がったりします。勉強法商材はそのような特殊な例を宣伝文句に使っているだけなのです。

 もちろん勉強法商材は結構ためになることが書いてあることもあり、すべて悪いとは言いませんが、それで多くの人が爆発的な結果が出るかといえば、まったくそうとは言えません。まず、人の性格は十人十色であるのと同じように、勉強法も合う、合わないが人によって非常に激しく分かれますから、いろいろ試してみて取捨選択するという努力ができない人は、効果が得られません。そして根本的には、成績が上がるかどうかは本人の努力と脳の性能が大きく左右しますので、そのことがわかっていなければ単なるクレーマーで終わることになります。

 さて、成績が脳の性能でほぼ決まってしまうとしたら、努力しても仕方ないと思うかもしれません。しかし決してそうではありません。今の現状の範囲で自分のできることを探し、進歩向上することに意味があります。

 例えば私の中学時代の成績は、数学がちょっとできて、国語がひどかったので、相殺しても真ん中くらいの成績です。つまり頭の性能は平均的で、決して性能はよくありません。しかし、性能がよくないために、性能がよくない人の気持ちがわかるため、それが教育の世界で生かされています。

 現状は悲観するのではなく、自分のできることを見つけ、それをただ粛々とこなしていけばいいのです。たとえ希望が全く叶わない状況にあったとしても、目の前にある課題をこなすことが自分の成長につながり、それが継続できれば何らかの形で世の中に役に立つ人間になれる、そう信じて努力をしてほしいと思います。

 

何故若い人はすぐに仕事をやめてしまうのか

 最近の若い人はちょっと叱られただけですぐにやめてしまうと、ぼやく人も多いことはご存知かと思います。それは何故なのかということをここでご説明しておきます。
 実は私もどちらかというとすぐに仕事をやめてきたタイプです。そして同様の人と話す中で共通点が見えてきたのは、幼少期のトラウマや複雑な家庭環境があるということです。イジメ、いやがらせ、リンチ、カツアゲ、裏切り、親や教師の豹変や理不尽な対応、上司のパワハラなど、私は一通り経験しましたが、同様の人も何らかの割ときついトラウマを持っていました。完全に自信を無くしてしまうような経験や、完全に人間不信に陥ってしまうような経験です。
 このような経験をすると、自己防衛反応が起こるのか、人の感情に対して異常に敏感になります。ほんのわずかな行動の違い、声のトーンの違いを敏感に感じ、そこに苛立ちや怒りの感情があると激しいストレスを感じます。

 社会がより複雑に変化し、育つ環境も複雑になると、いじめや目上の理不尽な対応がより陰湿になり、他人が想像もしないようなトラウマを抱えます。ですから上司が部下を指導するときも、教師が生徒を指導するときも、感情を乱すことなく常に冷静で、丁寧でなければいけません。

 上司や教師は部下や生徒に対し、キレそうになる時ほどユーモアで返すべきである、というのは私の持論ですが、例えばイエスキリストの説法は聞き手が笑い転げるようなことが多かったそうです。何故そうかといえば、ユーモアがなければ多くの人は聞く耳を持たないからです。このように器が大きい人ほど、ユーモアを交えて教えを説き、逆に器の小さい人ほど感情を乱し、細かいことをネチネチといびるものです。

 上司や教師の対応として最もまずいのが突然豹変することです。豹変する恐怖を常に抱くことで判断力が鈍り、それがミスにつながるという悪循環に陥るからです。ですから今では烈火のごとく叱るような指導はタブーとされ、まったく効果がないということが常識となりつつあります。人を教育するとは許し続けるということであり、どこまでも冷静に対応することがよしとされます。私も塾の指導ではそのようにしていますし、まったく叱ることなく、忍耐強く丁寧に接することで、ほとんどの子は成績を上げています。

 

効率重視の勉強は本当に正しいのか

高校時代を振り返り、国立大学や難関私大に合格している人の特徴を思い出してみた。それは次のようなものである。

①観念やこだわりがあまりなく、何でも割と受け入れ、好みの激しさもなく、人間関係も割と良好。要するに性格や性質は至って普通であるということ。(東大などの超難関に受かるような人は例外)

②もともと頭がいい。覚えることも読むことも計算も速い。

 

ちなみに私自身はこのどちらにも当てはまらない人間でした。小学校時代は中の下で、とにかく文章を読むスピードが遅く、国語のテストでは全く時間内に終わらないというありさま。中学では塾のおかげで数学と英語だけはましでしたが、国語は相変わらず苦手でした。要するに頭はもともとよくはなかったということです。

 高校受験までは努力で何とかなったと思います。しかし高校に入ってからは①②が強く影響をして何とかならなくなってきました。もうワンランク下の高校に入ってもよかったと思うこともありました。とにかく劣等感と屈辱感を感じる毎日でした。

 何でこんなに頭が悪く性格がひねくれた性格に生まれてきたのか…

 しかし、今思うとその理由がだんだんわかってきました。

 教師としての資質は、①も②もあってはならないと。

 性格が素直で我があまりない人というのは、世渡り上手ではあるものの、体系的に情報を積み上げていくというこだわりがないので、世間に何かを発信していく意欲も素質も備わらないのです。

 例えば外国人に日本語を教える教師になると仮定しましょう。

 外国人が質問をします。

「この場合は、〇〇…でこの場合は〇〇...になる。何が違うんですか」

「怖い」と「恐ろしい」って何が違うのですか?

日本人なら普通は疑問に思わないようなことを外国人は尋ねてきます。しかし要領が悪く、日本語に対し常に疑問を持っていたような人は、割とそのような外国人の気持ちが理解できるので、答えられる可能性が高くなります。

 

 ですから要領が悪く、こだわりの強い受験生に言いたいわけです。要領の悪い勉強をして、多少ランクの低い大学に行ったとしても、別にいいじゃないかと。逆に有名大学出身なんていうレッテルを張られると、天狗になるのでかえって自分のためにはなりません。年を重ねればだんだんわかりますが、学閥とか派閥みたいなものは本当に幼稚でバカみたいなものだと感じるようになります。過去の栄光を引きづって生きることが尊敬に値するかどうか、考えてみれば誰でもわかることです。

 

 大学受験での合格はそれがゴールではなく、スタートなわけですから、大学の知名度にこだわるのでなく、とことん熱中できる物を見つけてほしいです。研究や仕事に熱中し、気が付いたら食事もしないで夜になっていた…なんていう生活ほど幸せなことはないのですから。

 

 要領は悪い人と言われるような人は、一般に波乱な人生を送りやすいですが、その分悟りは多く、社会に発信したり、人を教育していく能力が備わります。経営者や政治家、開発のリーダーとなっていくような人は、一切の名声を捨て、少なくともそのような生き方を選ぶものです。

 

学生が貧困スパイラルに巻き込まれないためには(4)

私の塾の生徒の話です。中学3年生の女の子で、高校をどうするかという問題で親ともめていました。親は交通費がかからない自宅から通える高校に行ってほしいという希望で、私も本人の成績や頑張りようから考えて、同意見でした。しかし本人は「田舎はつまらない」という理由だけで、遠くの都会の高校を希望していました。

 15歳にしては精神的に幼いと思いましたが、私は丁寧に次のことを説明しました。

・学びたいことも将来の目標もないのに、そんな志望動機で親が納得するはずがない。

・都会に行きたければ学校が休みの日に遊びに行ったらよい。

・今はネット社会なので都会でも田舎でも情報の格差などない。

これは意外と他人ごとではないと思います。田舎の若い人が都会にあこがれる気持ちはわかります。私もそうでした。しかし今は都会に住む魅力はあまりないと思っています。田舎に住む良さもそれなりにわかるようになり、生活にも不満はないからです。

 大学を選ぶ時も、あこがれだけで遠くの都心部の大学ばかりに目が行ってはいないでしょうか?もしそうだとするなら、それが貧困の始まりです。そうではなくもっと現実的なことを考える必要があります。親の経済力、通学時間、通学費用、学費、即戦力となる技術や技能が身につくのかなど…それらを総合的に判断しなければいけません。進学するということは自分だけの問題ではないということを忘れてはいけません。

 

学生が貧困スパイラルに巻き込まれないためには(3)

 さて現在の貧困状態にある人の姿を見てどう思うかです。好きな仕事だけを自由気ままにできれば、貧困であってもよいと思う人もいるでしょう。しかしそういう人は少数派と思われます。(YouTubeなどで検索すれば貧困に陥っている人がどういう生活をしているのかがよくわかります)

 一般に貧困に陥る人は中学、高校時代において、自分の将来、進路に関して無頓着、無計画だったと言えます。親の経済力がなくて専門学校にも通えなかったとしても、貧困に陥らずに済む方法は、実はいくらでもあるのですが、その怠りによって情報が不足し、貧困に陥るのです。

 例えば私が不思議に思うことは、中学生で、将来大学に行くつもりが全くないのに普通科の高校に進学することです。なぜ工業高校とか、農業高校とか、看護や調理が学べるような専門性のある高校に行かないのか。また、都会ばかりに目を向けている学生も不思議で仕方ありません。地方には問題となっている派遣会社は少なく、正社員になれる確率は高いのですが、何故かみんな都会に住みたがります。

 安定した収入もないのに、親元から遠く離れて都会に住み、早く子供を作って慌てふためいている無計画さも不思議です。収入が少なくても子供が欲しいと考えるなら、地元に就職して、親と協力して子育てをすべきかと思いますが、そういう知恵が回らないのでしょうか。

 このように貧困は国の社会制度に責任を擦り付けがちですが、実はその根本は本人の無計画さや親の躾や学校の教育に問題があると言えます。

 

 

学生が貧困スパイラルに巻き込まれないためには(2)

 まずは若者が失敗する原理について知る必要があります。人間の進化の過程において、危険を冒さないような気質(遺伝子)を持つ民族は滅び、危険を冒す気質を持つ民族だけが生き残ったと言われています。その理由はなんとなくわかるのではないでしょうか。危険を冒さず原始的な生活で満足していては、社会とか文明とか文化の発展はないのは当然です。戦争や侵略をする無謀さもあったからこそ、その悲惨さを身をもって学ぶことができたのです。

 その危険を冒す気質が強く出る時期が10代~20代の若いころだそうです。自動車の保険料も年齢が上がるごとに安くなりますが、それは統計的に見ても若い人のほうが事故を起こすリスクが高いからです。私もそうでしたが、高校生の頃は頑張れば多少困難なことでもなんとかなると思っていました。そのおかげで数々の後悔をしてきましたが、学びや悟りも多く、満足できている部分があります。逆にリスクを冒さず安全な進路をとっていたとしたら、物質的には満足できても、学ぶことが少なく、不満感が残ったと思います。

 そうすると精神の満足をとるか、物質の満足をとるか、という話になります。私の経験で言えることは、どちらも大事であり、精神が主、物質が従となる偏りが少ないバランスが重要なのだろうと思います。これは大本教のかつての教祖である出口王仁三郎という人が残した「霊主体従」という考え方と同じです。この世の富とか名声はあの世にまで持っていけるものではありません。だったらそれほど裕福ではなくても、この世で悟り多い人生を送ったほうが、あの世に帰ってから勝ち組になる、ということです。

 ところが物質があまりにも満たされないと、苦しすぎて悟りどころではなくなります。つまり貧困が過であってもよくないのです。つまりそのバランスが重要であり、多少のリスクを冒し、多少の物質を犠牲にするという生き方が賢明なのだろうと思います。

 

学生が貧困スパイラルに巻き込まれないためには(1)

日本の派遣会社の数は海外に比べてダントツに多いそうです。通訳やプログラマーなどの専門技術者を扱わないような派遣会社は、極端な話、奴隷をいいように使って儲けるような商売ですから、やっていることはヤクザとそんなに変わらないのじゃないかと思います。一方企業側が派遣社員を多く使う理由は、当たり前ですがそのほうが儲かるからです。忙しいときだけ雇え、忙しくないときは切り捨てることができるので、どう考えても正社員を多く雇うより儲かります。一方派遣社員として働く側のメリットとしては、手っ取り早く仕事にありつけることと、責任が重くなく気軽さがあることです。デメリットとしては、収入が不安定で社会保障面で不利であることが多いという点です。場合によっては今月1週間しか仕事がないと言われれば、1週間分の給料しか出ないという世界ですから、生活水準が上がる見込みは少ないと言えます。

 日本人は海外から見たらとにかく面倒くさがりだそうです。そしてまじめすぎる気質から、競争が激化し、薄利多売となります。そうするとますます利益が落ちるため、人件費を抑えようと、派遣社員やアルバイトを多く使うようになります。この負のスパイラルによって日本での貧困が加速しているのです。

 この部分が外国人にはわからない日本の大きな闇でしょう。派遣の気軽さをあえて選ぶ世捨て人のような人も多いですが、そんな社会に未来はあるのか本当に疑問です。これは政治も絡んでくる問題であり、簡単ではないですが、少なくとも学生の皆さんがこの負のスパイラルに巻き込まれないためにどうすればいいかを考えていきたいと思います。

 

反転授業には致命的な欠点がある

アメリカの高校で広がりつつある反転授業。これは自宅のネット環境で動画授業を受け、学校に行って自習や宿題をし、先生の個別指導を受けるというもの。この広がりは日本のように個別指導を受けることが結果に反映するということに気が付き始めた結果でしょう。しかし大きな欠点があります。それは、自宅では監視する人がいないので、やるかやらないかは生徒次第となってしまうことです。欧米では個性や個人的な価値観が重んじられ、留年については寛容であるため、問題はないのでしょうが、日本のような護送船団方式が染みついた文化ではおそらく合わないでしょう。私の塾の生徒にもネットの授業を紹介して勉強するようにいうこともあるのですが、下位60%くらいまずやりません。

 一方日本の場合は護送船団方式によって置いてきぼりをくらった生徒のために、個別指導塾と自習型塾が発展しました。自習型とは公文式のような塾を指します。高校生向けでは武田塾さんがこれにあたるでしょう。どちらも監視して勉強させたり、テストで常にチェックされるため、効果が出るのです。しかし欠点もあります。講義に多く時間が割けないという点です。そして、何より致命的なことは、親の経済力がなければそもそも塾に通えないという点です。

 この欠点を埋めるのが、学校教育のはずなのですが、特に公立の学校ではスタイル自体が昭和からほとんど変わっていません。裏を返せば文部科学省の上層部はほとんど●●ということです。国家公務員を目指す学生に文科省は人気がないと言いますが、おそらく人事の争いとか派閥みたいなものがあって、若い人が活躍できないからでしょう。

 昨今の報道を見てもそれは明らかでしょう。学校設立を認可するかどうかとか、政治家の口利きがあったかどうかとか、先進国で問題になることでしょうか。

 ある文科省OB?がこのような発言をしていました。

「いや今回の問題は内閣府の圧力が強くあったためであり、文科省が責められるのはちょっと納得できない」

 これは内閣府は人事権を持っているため、どの省庁も強く出られないということを暗示しているのでしょう。自分たちが調査をして、その結果が正しいと判断すれば、内閣府の意向など門前払いにすればいいだけの話です。出世競争に負けると天下り先に飛ばされるという慣例があるので、やりたい政策を主張することができない仕組みになっていることがよくわかります。

 日本の国家公務員とは、YESマンで、事なかれ主義で、和を乱さない、意見を強く主張しない、不祥事を上手く逃げ切れる人が出世します。これを解決するには、そういうことを解決する政治家を探して選ぶしかなさそうです。 

 

 

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